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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)6501号 判決

原告

兼下秀子

被告

池内良子

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、それぞれ金八三九万五五〇〇円及びこれに対する被告池内良子については平成七年七月一四日から、被告藤川幸子については平成七年七月一三日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を被告らの負担とし、その余は原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者が求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、それぞれ金一一二九万三五〇〇円及びこれに対する平成六年一二月九日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(関係当事者)

(一)  亡外村良一(昭和五年七月九日生、平成六年九月二九日死亡。以下「亡良一」という。)は、昭和三三年九月一〇日近久美保子と婚姻し、同女との間に長女である被告池内良子(以下「被告良子」という。)及び二女である被告藤川幸子(以下「被告幸子」という。)をもうけたが、昭和四二年七月一三日近久美保子と協議離婚した。

(二)  亡原田志づ江(大正八年九月二〇日生、平成七年二月二八日死亡。以下「亡志づ江」という。)は、昭和一九年一一月一八日金光勉と婚姻し、同人との間に原告をもうけたが、昭和二六年四月九日同人と協議離婚した。また、志づ江は、昭和三三年九月一四日松下初次と婚姻したが、昭和三九年四月二八日同人と協議離婚した。両名の間に子はいない。

2(亡志づ江と亡良一の内縁関係)

亡良一と亡志づ江は、亡志づ江が中華料理店で働いていた昭和四二年ころ知り合い、昭和四五年ころ、当時亡志づ江が賃借していたアパートの部屋に亡良一が転がり込み、事実上の夫婦として同居を開始し、以来平成六年九月二九日に亡良一が死亡するまでの約二五年間内縁の夫婦として生活してきた。両名の間に子はいない。亡良一と亡志づ江は、内縁の夫婦とはいつても、実質的には亡志づ江が亡良一を扶養してきた。すなわち、昭和四八年に亡志づ江が借りていたアパートが火災にあい、住まいを失つたのを機に、亡志づ江は、自己の預金と僅かの火災保険を元手に、昭和四八年六月三日、東大阪市太平寺二丁目四番六号所在の食堂「えびす屋」の権利(のれん代込み)を取得し、同時に東大阪市俊徳町五丁目九の二四所在のアパートの一室(一間)を借りて、二人の住まいとした。「えびす屋」はいわゆる大衆食堂で、チヤーハン、ラーメン等は亡良一が調理することもあつたが、亡良一は朝から酒を飲んでいることが多く、主として調理をしていたのは亡志づ江であつた。なお、亡良一は、アルコールさえ入つていなければおとなしい人物であつたが、殆ど常時飲酒しており、亡志づ江は、亡良一から髪を掴んで引きずられたり、蹴られる等の暴行を日常的に受けていた。「えびす屋」は、昭和五八年ころ、近所の清掃会社が移転したことにより客足が落ち、経営が苦しくなつたため、亡志づ江は、昭和六〇年六月一五日ころ、それまで借りていた店舗、居室、倉庫を解約し、新たに東大阪市太平寺一丁目四番一号所在の店舗付住宅を借りて、新しい店を始めたが、亡志づ江の懸命の努力にもかかわらず、経営は捗々しくなく、平成五年ころには開店休業伏態となり、亡志づ江と亡良一は、亡志づ江の厚生年金、国民年金の受給分によつてかろうじて生計を維持している状況であつた。

3(交通事故による亡良一の死亡)

亡良一は、平成六年九月二七日午前一一時一七分ころ、東大阪市太平寺一丁目二番一二号先の市道を自転車で走行中、加藤宜勝(以下「加藤」という。)が運転する普通貨物自動車にはねられ(以下「本件事故」という。)、同月二九日午後一時二一分ころ、東大阪市内の牧野病院で死亡した。

4(被告らによる亡良一の保険金の受領)

(一)  本件事故当時加藤が加入していた自賠責保険は住友海上火災保険株式会社、任意保険は日産火災海上保険株式会社であつた。

(二)  本件事故についての示談交渉は、事実上、示談代行により日産火災の担当者と被告良子の夫である池内洋一(以下「洋一という。)との間で行われ、その結果、平成六年一〇月一九日に葬儀費用として金四六万四三六七円、同年一二月八日に示談金残金全額として金三一〇〇万円が被告両名に支払われた(以下「本件保険金」という。)。

5(本件保険金に対する亡志づ江の権利)

(一)  本件事故によつて死亡した亡良一の相続人は被告両名のみであり、内縁の妻であつた亡志づ江は法律上の相続人ではなかつた。

(二)  しかし、被告両名が受領した本件保険金には、〈1〉亡良一の逸失利益として金一七三八万七〇〇〇円、〈2〉死亡慰謝料として金一三〇〇万円が含まれている。

(三)(1)  〈1〉の逸失利益については、亡志づ江は亡良一と同居し、内縁関係にあつたので、法律上婚姻関係にある場合と同様に、亡良一に対し、同居及び協力扶助並びに内縁生活から生じる費用の分担を期待し得たのであるから、亡志づ江のような相続人の範囲に属しない被扶養者が存在する場合、亡良一の財産的損害については、被扶養者の得べかりし将来の扶養利益の額を控除した残額が、相続財産たる逸失利益になると解すべきであり、将来の扶養利益喪失額を算出するにあたつては、死亡当時における現実の扶養の実態をその基礎とすべきである。

(2) 亡志づ江は、本件事故当時満七五歳になつたところであり、平成五年ころから足腰、体力ともに衰え、本件事故直前の平成六年九月には、体調が悪化して入院したが、亡良一に退院させられ、通院中であつたところ、平成五年簡易生命表によると平均余命は一二・五五年であり、他方亡良一の逸失利益の算定は六四歳から七三歳の男性の平均賃金の九年分(おそらく、六四歳男性の平均余命一七・一四歳の二分の一程度とされたと解される。)とされており、亡志づ江は亡良一より一一歳年上であつて、今後亡良一に扶養されることが予想されたことから、亡良一の死亡時点での同人の逸失利益はすべて亡志づ江の扶養利益で控除され、相続の対象となる財産上の損害は残存しないというべきである。なお、現実には亡志づ江は平均余命を全うせずに死亡しているが、それは言わば結果論であつて、亡良一の死亡時点において期待された扶養利益が問題とされるべきである。

(四)  また、〈2〉の死亡慰謝料には、内縁の妻としての固有の慰謝料が含まれており、これも相続財産から控除されるべきところ、亡志づ江は、亡良一の酒癖の悪さにはずいぶん苦労されられたものの、二五年間も連れ添つた内縁の夫婦であり、お互いに相手に対する優しさと愛情を抱いていたことは明らかである上、亡良一よりも一一歳も年上であつたこともあり、自らの残された人生と生活について亡良一に期待を寄せていたことが容易に推測できるから、亡志づ江の固有の慰謝料は前記金一三〇〇万円の四割である金五二〇万円を下回ることはないというべきである。

(五)  したがつて、亡志づ江は、本件保険金のうち〈1〉の金一七三八万七〇〇〇円全額及び〈2〉の内金五二〇万円との合計金二二五八万七〇〇〇円を取得する権利を有していたことになるから、被告らは、それぞれ金一一二九万三五〇〇円を不当利得として亡志づ江に返還すべき義務を負つていたものというべきである。

6 (亡志づ江の死亡と原告の相続)

亡志づ江は、平成七年二月二八日死亡し、原告がその唯一の相続人として、亡志づ江が被告らに対して有していた右不当利得返還請求権を相続により取得した。

7 よつて、原告は被告らに対し、不当利得の返還として、それぞれ金一一二九万三五〇〇円及びこれに対する本件保険金が支払われた日の翌日である平成六年一二月九日から右各支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は認める。同1(二)の事実は知らない。

2  同2の事実のうち、亡良一と亡志づ江が、亡志づ江が中華料理店で働いていた昭和四二年ころ知り合い、昭和四六年ころから事実上の夫婦として同居を開始し、以来平成六年九月二九日に亡良一が死亡するまでの間内縁の夫婦として生活をしてきたこと、両名の間に子はいないことは認めるが、その余の事実は争う。

原告が主張するように実質的には亡志づ江が亡良一を扶養してきたとの事実はない。大衆食堂の「えびす屋」は、亡良一と亡志づ江の両名が協同して開店し、協同して経営してきたもので、とりわけ、亡良一は調理師の免許を有していたので調理は一手に引き受けてきたほか、仕入れも担当していた。一方、亡志づ江も客の応対のほか出前も引き受けていたが、心臓疾患の持病があり、加えて約一七年前から足腰が悪くなつて歩行が不自由となり、通院と入退院を繰り返すようになつたので、亡良一は亡志づ江の世話と店の切り盛りに苦労を重ねていた。

3  同3の事実は認める。

4  同4の各事実はいずれも認める。

5(一)  同5(一)、(二)の各事実は認める。

(二)  同5(三)の主張は争う。内縁配偶者が扶養喪失に基づく不法行為上の損害賠償権は否定されるべきである。仮に、内縁配偶者に右の如き固有の損害賠償請求権が認められるとしても、内縁配偶者に扶養請求権が認められるためには、扶養関係当事者において、不法行為の被害者たる者が扶養可能の状態にあるとともに、その遺族が要扶養の状態にあることが必要であり、かつ、それは双方に抽象的にその可能性があるだけでは足りず、現実に一方が扶養可能であり、他方が貧困その他の事情で扶養を要する状態でなければならないところ、本件において、亡良一において扶養可能、亡志づ江において要扶養の状態にあつたとはとうてい認め難い。

(三)  同5(四)の主張は争う。内縁関係にあつた一方の配偶者について、固有の慰謝料請求権が認められるとしても、原告の主張を前提とする限り、むしろ、亡志づ江は、亡良一の死亡により、亡良一から日常の生活上被つてきた精神的苦痛からようやく解放されたというべきであるから、社会通念上金銭で慰謝されるべき精神的苦痛を被つたものとは認め難い。

(四)  同5(五)の主張は争う。

6  同6の事実のうち、亡志づ江の死亡の事実は認めるが、その余の事実は争う。

三  抗弁

1(亡志づ江の被告らに対する請求権の放棄)

(一)  本件事故については、被告良子の夫である洋一が、自賠責保険及び任意保険を通じて保険会社との示談交渉を行い、その結果、平成六年一二月八日、加藤(保険会社)との間に示談が成立し(以下「本件示談」という。)、被害者側当事者は被告両名のほか亡志づ江の三名とし、この三名の代表者として被告良子が示談書に署名・捺印するとともに、相続人代表として、示談金(保険金)三一〇〇万円(〈1〉亡良一死亡までの冶療費金一五七万三九九五円、〈2〉入院中の付添看護料金二万八九三九円、〈3〉葬儀実費金四六万四三六七円)を除いた金額である。)を受領した。

(二)  ところで、被告良子が相続人代表として本件示談を締結し、かつ、本件保険金を受領するについては、被告良子を除く二名が被告良子にこれを委任する旨の書面を保険会社宛に堤出したことによるものであるが、亡志づ江は、被告良子に右委任をするについて、原告及びその夫の兼下晃(以下「晃」という。)をして、被告良子の事実上の代理人となつていた洋一との交渉に当たらせ、その結果、本件示談が締結される数日前、亡志づ江と被告良子との間に、左記の内容による合意が成立し(以下「本件合意」という。)、亡志づ江は、前記委任する旨の書面を保険会社に提出した。

(1) 亡良一は、全商連共済会に契約加入していたが、亡良一の死亡により同共済会から支払われる「災害死亡金」三〇〇万円は、本来は相続人である被告両名に給付されるものであるが、被告両名は、平成六年一一月一二日、右災害死亡金の受取権を亡志づ江に譲渡する。

(2) 亡良一の死亡当時、別紙「返済明細書」記載のとおり、亡良一名義により、食堂「えびす屋」の経営資金及び亡良一・亡志づ江の生活費として借り入れていた日本信販等八件からの借入金が合計金一五四万七七五八円存在することが判明し、これらは、債務の性質上亡志づ江が本来の債務者として第一次的に全額を負担しなければならないところ、「えびす屋」と亡志づ江が従前から健康状態が悪かつたために亡良一の死亡後はこれを継続することができず、かつ、前記の債権者に対する返済処理等は亡志づ江ではとうてい耐えられないことに鑑み、右債務は被告良子がその責任において立替払いをすることとし、被告両名は亡志づ江に対し、右立替金の返還を求めない。

(3) 右(1)及び(2)の代償として、亡志づ江は、被告両名が本件保険金を受領することを認め、被告両名に対する一切の金銭請求を放棄する。

(三)  本件合意に基づき、亡志づ江は、平成六年一二月九日、全商連共済会から、災害死亡金三〇〇万円全額を受領し、被告良子は、平成六年一二月二〇日までに前記一五四万七七五八円を全額返済した。

(四)  平成六年一二月下旬ころ、亡良一・亡志づ江両名の知人である後迫康広(以下「後迫」という。)宅に被告良子、夫の洋一、被告幸子、亡志づ江、原告及び夫の晃が参集し、その席上において洋一が本件合意に至る経過を説明したところ、出席者全員が本件合意の存在を再確認した。さらに、その翌日には亡志づ江自身が被告両名にわざわざ電話をかけ、「当方は昨日のことはすべて了承しているので、今後、請求や要求などは一切しない。」旨を伝えた。

(五)  以上のとおり、亡志づ江は、本件保険金について被告両名に対する一切の請求を放棄しているものである。

2(相殺)

(一)  亡志づ江は、本来は被告両名が亡良一の相続人として受け取るべき全商遵共済会の災害死亡金三〇〇万円の受領権について、被告両名からその譲渡を受けているのであるから、原告において本件合意の存在を否定する以上は、もともと本件合意がなされたことを原因として右受領権の譲渡をした被告両名は、原告に対し、右金三〇〇万円の返還請求権を有するものというべきである。

(二)  被告らは、平成八年一一月二八日の本件第一一回口頭弁論期日において、原告に対し、被告らの原告に対する右金三〇〇万円の返還請求債権を自働債権として、原告の被告らに対する本訴請求債権を受働債権として、対当額で相殺する旨の意思表示をした。

四  杭弁に対する認否

1  抗弁1の各事実のうち、本件事故について、被告良子の夫である洋一が、自賠責保険及び任意保険を通じて保険会社との示談交渉を行い、その結果、加藤(保険会社)との間に本件示談が成立したこと、被告良子が、示談金(保険金)三一〇〇万円を受領したこと、亡志づ江が、全商連共済会から亡良一の死亡による災害死亡金三〇〇万円全額を受領したことは認めるが、その余の事実は争う。

亡志づ江は、被告ら主張の本件合意をしたこともないし、後迫の自宅において本件合意の存在を再確認したこともない。

2  同2(一)の主張は争う。同2(二)の事実は認める。

第三証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一(関係当事者について)

1  亡良一(昭和五年七月九日生、平成六年九月二九日死亡)は、昭和三三年九月一〇日近久美保子と婚姻し、同女との間に長女である被告良子及び二女である被告幸子をもうけたが、昭和四二年七月一三日近久美保子と協議離婚したことは、当事者間に争いがない。

2  証拠(甲二)によると、亡志づ江(大正八年九月二〇日生、平成七年二月二八日死亡)は、昭和一九年一一月一八日金光勉と婚姻し、同人との間に原告をもうけたが、昭和二六年四月九日同人と協議離婚したこと、また、亡志づ江は、昭和三三年九月一四日松下初次と婚姻したが、昭和三九年四月二八日同人と協議離婚したこと、亡志づ江と松下初次の間に子はいないことが認められる。

二(亡志づ江と亡良一の内縁関係について)

亡良一と亡志づ江が、亡志づ江が中華料理店で働いていた昭和四二年ころ知り合い、昭和四六年ころから事実上の夫婦として同居を開始し、以来平成六年九月二九日に亡良一が死亡するまでの間内縁の夫婦として生活をしてきたこと、両名の間に子はいないこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、かかる事実に証拠(甲五、一八、二一、乙一四、証人後迫康広、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、(1)亡志づ江は、松下初次と婚姻中の昭和三七年ころからプラスチツク工場で稼働していたが、昭和三九年四月に同人と協議離婚し、昭和四二年に右工場をやめて中華料理店で稼働するようになり、そのころ同店に客として来ていた亡良一と知り合い、昭和四五年ころ、当時亡志づ江が借りていたアパートに亡良一が転がり込み、右両名は事実上の夫婦としての生活を開始した。(2)昭和四八年に亡志づ江が借りていたアパートが火災にあい、これを機に、亡志づ江は、自己の預金等を元手に、昭和四八年五月二〇日ころ、東大阪市太平寺二丁目四番六号所在の食堂「えびす屋」の権利を取得し、同時に、同市俊徳町五丁目九番二四号所在のアパートを借りて、二人の住居とした。「えびす屋」の保健所への届出は亡志づ江の名義であつた。(3)「えびす屋」はいわゆる大衆食堂であり、当初は亡志づ江と亡良一が協力して右食堂を切り盛りしていたが、亡良一は、飲酒癖があり、ほとんど常時飲酒していることが多くなり、次第に商売に身が入らなくなつた。また、亡良一は、酒癖が悪く、飲酒の上で亡志づ江に対し、頭髪を掴んで引きずつたり、足蹴りするなどの暴行を加えたりすることが日常的となり、亡志づ江はこれを耐え忍んでいた。(4)昭和五八年に至り、近所の清掃会社が他へ移転したことにより、「えびす屋」の客足が落ち、経営が苦しくなつたため、亡志づ江は、昭和六〇年六月一三日ころ、それまで借りていた店舖やアパートを解約し、亡志づ江名義で、あらたに東大阪市太平寺一丁目四番一号所在の店舗付住宅を賃借して、同じ屋号で食堂を始めたが、経営は捗々しくなく、平成五年ころには開店休業状態となり、亡志づ江と亡良一は、亡志づ江の厚生年金及び国民年金の受給分によつてかろうじて生計を維持している状況であつた。(5)亡志づ江は、昭和五九年ころまでは元気で、自転車で出前をしていたが、平成元年ころから次第に足腰が悪くなり、亡良一に自転車に乗せて貰つて病院に通院していた。平成四年ころからは、店の外にも出られない状態にまで悪化し、平成五年中には二回入院した。(6)亡志づ江と亡良一は、昭和四五年に事実上の夫婦として同居生活を開始して以来、亡良一が平成六年九月二九日に死亡するまでの約二四年間にわたつて内縁の夫婦として共同生活を送つた。なお、二人の間に子はいない。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三(交通事故による亡良一の死亡について)

亡良一が、平成六年九月二七日午前一一時一七分ころ、東大阪市太平寺一丁目二番一二号先の市道を自転車で走行中、加藤が運転する普通貨物自動車にはねられ(「本件事故」)、同月二九日午後一時一二分ころ、東大阪市内の牧野病院で死亡したことは、当事者間に争いがない。

四(被告らによる亡良一の保険金の受領について)

(1)本件事故当時加藤が加入していた自賠責保険は住友海上火災保険株式会社であり、任意保険は日産火災海上保険株式会社であつたこと、(2)本件事故についての示談交渉は、事実上、示談代行により日産火災の担当者と被告良子の夫である洋一との間で行われ、その結果、平成六年一〇月一九日に葬儀費用として金四六万四三六七円、同年一二月八日に示談金残金全額として金三一〇〇万円が被告両名に支払われたこと(「本件保険金」)、以上の事実は当事者間に争いがない。

五(本件保険金に対する亡志づ江の権利について)

1  (1)本件事故によつて死亡した亡良一の相続人は被告両名のみであり、内縁の妻であつた亡志づ江は法律上の相続人ではなかつたこと、(2)被告両名が受領した本件保険金には、〈1〉亡良一の逸失利益として金一七三八万七〇〇〇円、〈2〉死亡慰謝料として金一三〇〇万円が含まれていること、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  そして、証拠(甲七の1、2、乙一、二、一四)によると、本件事故の示談を担当した保険会社は、(1)亡志づ江を内縁の配偶者と認定して、本件保険金の受領資格を認めていたこと、(2)亡良一の逸失利益について、同人が死亡当時満六四歳であつたことから、その基礎となる収入を同年齢の平均賃金月額である金三三万一八〇〇円として、これに六四歳の平均余命の二分の一である九年の新ホフマン係数七・二七八を乗じ、生活費として四割を控除して金一七三八万七〇〇〇円と算定していること、(3)また、亡良一の死亡慰謝料については、亡良一と亡志づ江との内縁の夫婦関係の実態に鑑み、亡良一が一家の支柱とは認定されなかつた結果、その慰謝料額が金一三〇〇万円とされたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  ところで、前記一、二で認定した事実によれば、亡志づ江は、亡良一の相続人ではないけれども、亡良一が本件事故で死亡するまで二四年間亡良一と準婚関係にあつたものであり、亡良一の死亡当時、亡志づ江は満七五歳の高齢で、身体が相当弱つており、内縁の妻として、一一歳年下の亡良一から扶助を受ける権利を有し、現に扶助を要する状態にあつたのであるから、亡良一の逸失利益は先ず亡志づ江の扶助に充てられるべきものであつたというべく、亡良一の相続人たる被告らにおいて請求し得る亡良一の逸失利益の範囲は、右扶助に充てられるべき部分を控除した残額の部分に限られるものと解するのが相当てあり、かかる法理は、本件のように、亡良一の死亡を原因として既に支払われた保険金中の逸夫利益に該当する部分についても同様に妥当するものというべきである。これを本件についてみると、亡志づ江が要扶養状態にあつたことは前記認定のとおりであり、一方、亡良一が稼働能力を有していたことは本件保険金の給付の事実に照らして明らかであるから、扶養可能状態にあつたものと認められるところ、扶養可能期間は、亡良一の死亡時点における亡良一の稼働可能年数と扶養権利者である亡志づ江の推定生存期間の重なる期間である九年(亡良一の死亡時点の満午齢六四歳の均余命の二分の一)を限度とすべきであるから、結局、本件保険金のうち逸失利益部分である金一七三八万七〇〇〇円(これは、前述のとおり、亡良一の稼働年数を九年、亡良一の生活費として四割を控除済みの金額である。)の三分の二に相当する金額(亡良一の生活費と同様に逸失利益の四割相当分)の金一一五九万一〇〇〇円(一〇〇〇円未満切捨)が、亡志づ江の扶助に充てられるべき部分に該当するものと認めるのが相当であり、したがつて、被告らが相続し得る部分は、金一七三八万七〇〇〇円から金一一五九万一〇〇〇円を控除した残額の金五七九万六〇〇〇円となる。

4  次に、本件保険金のうち亡良一の死亡慰謝料部分である金一三〇〇万円については、内縁の妻である亡志づ江も、民法七一一条の類推適用により固有の慰謝料請求権が認められるところ、亡志づ江は、亡良一の酒癖の悪さや暴力に悩まされてはいたものの、二四年間連れ添つた内縁の夫婦として、それなりに亡良一に対する愛情を抱き、また、残された人生と将来の生活について一一歳年下の亡良一に多大の期待を寄せていたことは想像に難くないから、かかる事情を斟酌すると、亡志づ江には、右慰謝料部分金一三〇〇万円についてその四割に相当する金五二〇万円が帰属するものと認めるのが相当であり、したがつて、被告らが取得し得る慰謝料部分は金七八〇万円となる。

5  以上の認定説示によると、被告らが受領した本件保険金のうち金一一五九万一〇〇〇円と金五二〇万円との合計金一六七九万一〇〇〇円は亡志づ江において取得すべきものであり、被告らは、右同額の金員を不当に利得したものというべきであるから、亡志づ江に対しそれぞれ金八三九万五五〇〇円を返還すべき義務がある。

六(一)(抗弁1について)

1  本件事故について、被告良子の夫である洋一が、自賠法保険及び任意保険を通じて保険会社との示談交渉を行い、その結果、加藤(保険会社)との間に本件示談が成立したこと、被告良子が示談金(保険金)三一〇〇万円を受領したこと、亡志づ江が、全商連共済会から亡良一の死亡による災害死亡金三〇〇万円全額を受領したことは、当事者間に争いがなく、証拠(甲八の2、乙一、三の1、2、四、五の1ないし4、六、7の各1ないし3、八の1ないし4、九、一〇の各1、2、一一の1ないし4、被告池内良子本人)によると、(1)洋一は、亡良一の通夜の席で、亡志づ江に対し、本件事故に関する保険会社との示談交渉は洋一に一任するよう求め、亡志づ江及び原告は、亡志づ江が内縁の妻であつたことから、洋一に右示談交渉を任せることにしたこと、(2)亡志づ江は、亡良一の通夜の席上において、亡良一がその生前において亡良一名義で約金三〇〇万円の借財を残している旨を述べ、これに対し、洋一は、亡良一の右借財を被告側で負担する旨を表明したこと、(3)被告良子は、別紙「返済明細書」記載のとおり、亡良一が残した日本直販ほか八社に対する債務合計金一五四万七七五八円を平成六年一〇月三日から同年一二月一三日までの間に弁済したこと、(4)亡良一は、昭和六一年三月二四日ころ、全商連共済会に加入し、同会から亡良一の死亡に対する災害死亡金が給付されることになつたが、被告良子は、平成六年一一月一二日付で全商連共済会宛に「父良一の死亡による全商連共済会の給付受取りに関し、相続を放棄し、内縁の妻である亡志づ江に譲渡することとし、今後、全商連共済会に対し異議を申し立てない。」旨の念書を作成して、これを全商連共済会に差し入れた結果、亡志づ江が、全商連共済会から亡良一の死亡による災害死亡金三〇〇万円を受領したこと、(5)なお、本件示談は、平成六年一二月八日に成立したこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

被告らは、本件示談が成立した数日前に、亡志づ江と被告良子との間に、右(3)の被告良子が亡良一の債務を弁済する旨の合意及び右(4)の亡良一の死亡による全商連共済会の災害死亡金三〇〇万円を相続人たる被告良子から亡志づ江に譲渡する旨の合意、並びにその代償として亡志づ江が被告両名において本件保険金を受領することを認め、被告両名に対する一切の金銭的請求を放棄する旨の合意(「本件合意」)が成立した旨を主張しているところ、証人他内洋一及び被告他内良子はいずれも右主張に沿う供述をしており、乙一五にも同趣旨の記載がある。しかしながら、右供述及び記載内容は、後記2に掲記の各証拠に照らしてにわかに信用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

2  かえつて、証拠(甲八の1、2、九の1、2、一〇、一一の1、2、一二、一三の1、2、一四、一九ないし二二、乙三の一、2、証人池内洋一(一部)、同後迫康広、原告本人)を総合すると、(1)保険会社が、本件事故の示談についての具体的な交渉を開始したのは、亡良一が死亡して約一か月後の平成六年一〇月下旬ころであるところ、亡志づ江は、同年一〇月七日から同年一二月三日までの約二か月間、若草病院に入院し、その間重篤な状態が続いていたこと、(2)亡志づ江は、亡良一よりも早い昭和五九年九月六日ころに自ら全商連共済会に加入し、以来自己及び亡良一の掛金を支払つていたが、亡良一の死亡により、原告が亡志づ江に代わつて、全商連共済会に対し、亡志づ江への災害死亡金の給付手続を行つたところ、受取人が指定されていなかつたことから、亡良一の相続人である被告らに対し、右災害死亡金の受取人の亡志づ江にしてくれるよう依頼したこと、そこで、被告らは、平成六年一一月一二日ころ、前記1の(4)で認定のとおりの念書を作成してくれたので、原告がこれを全商連共済会に提出した結果、同年一二月九日ころ、全商連共済会から亡志づ江に対し、災害死亡金三〇〇万円を支払う旨の通知がなされ、同年一二月一九日ころ、亡志づ江は右金三〇〇万円を受領したこと、(3)被告良子が弁済した前記1の(3)で認定の亡良一の借財は、いずれも「えびす屋」の経営資金とは無関係のものであつて、同人自らの飲酒代と被告良子がサラ金から借りた借金の肩代わりのためのものである可能性があり、それ故、被告良子が弁済したものと考えられること、しかも、亡志づ江は、平成六年一〇月二〇日から同年一二月二八日までの間に、亡良一が生前飲酒代のために亡志づ江に無断で亡志づ江名義で借り受けた借金や「えびす屋」の解体費用等合計金一〇四万三八八三円を支払つていること、(4)洋一は、保険会社との示談交渉の過程で、保険会社が亡志づ江を亡良一の内縁の妻として本件保険金の受領資格を認める取扱にしているのを知りながら、金三〇〇〇万円余りの示談金(保険金)が支給されることがほぼ決定された後も、そのことを亡志づ江や原告に全く伝えず、平成六年一二月六日に、保険会社に提出する委任状に亡志づ江の署名捺印をして貰うよう依頼するために原告宅を訪問した際にも、原告に対し、決定された示談金額を伝えず、むしろ示談額は少額であることを仄めかす発言をしたこと、(5)亡志づ江と原告は、本件示談が成立して保険会社から被告良子が金三一〇〇万円を受領した平成六年一二月八日、たまたま布施警察署で示談金額が金三一〇〇万円であることをはじめて知つたこと、(6)そこで、亡志づ江と亡良一の古い友人である後迫が、平成六年一二月一五日、自宅に、亡志づ江、洋一、原告夫掃、被告両名を呼び、洋一及び被告らに対して、本件保険金を亡志づ江にも分け与えるよう求めたが、物別れに終わつたこと、以上の事実が認められる。

以上に認定した事実によれば、亡志づ江は平成六年一〇月七日から同年一二月三日まで入院中であつて、被告ら主張の本件合意について洋一と交渉する機会はなかつたばかりでなく、そもそも、本件示談金の金額すら知らされていないまま、全商連共済会からの金三〇〇万円の災害死亡金の受給と亡良一名義の借財約金一五四万円余の支払いをして貰うことの引換えに本件保険金に関する請求を一切放棄するという合意をしなければならないような合理的事情はまつたく存在しないというべきであるから、被告ら主張の本件合意の存在はとうていこれを認めることができない。

3  よつて、抗弁1は採用することができない。

六(二)(抗弁2について)

前記五、2で認定したところによれば、被告ら主張の本件合意は存在せず、したがつて、亡志づ江は、被告ら主張の本件合意とはまつたく無関係に全商連共済会の災害死亡金三〇〇万円を受領したものであつて、これを被告らに返還しなければならないという理由は存在しないから、抗弁2は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

七(亡志づ江の死亡と原告の相続について)

亡志づ江が平成七年二月二八日死亡したことは、当事者間に争いがないから、原告は、亡志づ江の法律上の地位を相続により承継したものというべきである。

八(結語)

以上のとおりであつて、原告の本訴請求は、不当利得返還請求権に基づき、被告両名に対し、それぞれ金八三九万五五〇〇円及びこれに対する訴状送達日の翌日である被告良子については平成七年七月一四日から、被告幸子については平成七年七月三日から(被告両名の悪意はこれを認める的確な証拠がない。)右各支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、右の限度で認容し、その余の請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三浦潤)

返済明細書

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